安田敏朗『辞書の政治学』平凡社

副題は「ことばの規範とはなにか」でした。この本を読もうと思ったのは、昔、宿題をするときに辞書をいくつか見て、辞書に載る単語の選択のことや、「辞書」の場合、剽窃の問題など発生しないのかなと思ったことがあったからです。

そのときは、「現実」という言葉がいつくらいから辞書に載っているかを調べました。と、いうのも、「現実」という単語が使われるときにrealityとactualityの二通りの意味で使われていると聞いたことがあって、当時、少年犯罪関連で「現実とヴァーチャルの区別がつかない子ども」というお話しが流行っていたので、辞書を調べることで先に記したような意味合いで「現実」という言葉が使われるようになった経緯を知る助けになるかなと思ったからです。結果としては、最初の口語国語辞書と言われている山田美妙さんの『日本大辞書』の頃かなと思ったのですが、そこで「現実」はrealの訳と説明されていました。ところが、井上哲次郎さんの『哲学字彙』では「現実」(表記は「現實」)という訳語があてられているのはrealではなく、actualityの方で、realには代わりに「眞實」という訳語があてられていたりして、結局、「現実」という日本語とreality(real)およびactuality(actual)という外国語の意味の相違はハッキリしませんでした。
 
で、こうした調べ方をした前提には、「人々がよく使うようになる→辞書に載るようになる」という流れを前提にしていることに気づいて、「人々が使っている」ということと「辞書に載っている」ということは辞書編纂者の選択を考慮に入れると、実は素朴に前提してはいけないことのように思えました。また、いくつかの辞書を年代順にみていくと、同じ単語に対して一言一句違わない説明がつけてある項目があったりして、なんか前の辞書を写しているようで、剽窃という問題は発生しないのかなと思いました。

んで、この本の中でも辞書をつくる側と使う側に溝があるように書かれていたのですが、辞書使用者のエージェンシーのお話しだと思いました。あと、例えば「広辞苑によると」とか「OEDによると」とか書かれると、そこで言葉の意味が絶対的に確定してしまうように感じられるのですが、そう感じられることが「辞書は言葉の規範である」ということを確かに示しているなあと思いました。国語という教科の中に辞書の使用が組み込まれていく経緯なども説明されているのですが、辞書を繰るという動作の習慣化が規範に対する相対的な視点を損うし、それは電子辞書の出現によってよりそうなるという説明などはちょっとわかりませんでした。

もっと辞書に関する本を読んでみようかなと思いました。